麦の家について
麦の家とは?
麦の家は、単独型グループホームとして、日本で最初に社会福祉法人の認可を受けた認知症高齢者の専門的ケアを実践する介護福祉事業所です。
6人が共同で生活する3つのグループで構成しています。個別ケア、集団ケア、看取りケア等による24時間対応の生活を支援しています。
認知症のお年寄り一人ひとりが希望をもって生活し、充たされた自分の生活の場を作っていくことを目指しています。
認知症の人、ご家族、その周りにおられる皆さま、どのようなことでもご相談ください。その解決を一緒に考えさせていただきます。個人情報の守秘性は厳守いたします。
認知症の人と継続的に「お話」をするボランティアを募集しています。いつでもお気軽に見学できます。電話でお申し込みください。
ごあいさつ
理事長◎南風原 泰
(社会医療法人栗山会飯田病院 副院長・精神科部長)
社会福祉法人麦の家創設者の松本栄二先生に初めてお目にかかったのは、飯田病院が100周年を機に建て替えをして間もない2002年のことでした。認知症高齢者向けのグループホームを中川村で創められた松本先生は、認知症高齢者をお預かりする以上は医療との密接な連携が必要と考えて訪ねてみえたのです。
お話によると、大学で社会福祉を教えていた時にゼミ合宿で中川村を訪れ、自然の中で過ごすうちに、「遊びもいいけれど、少し勉強もしませんか」という学生たちの提案で、「一人暮らし老人のお付き合いネットワーク」の調査を3年間継続したそうです。
この調査から、認知症を持つ老人が地区で孤立し、周囲も困惑している現状を知って、松本生は3人の在京の教会仲間に呼びかけました。私財を原資に資金を募る後援会を起ち上げ、中川村役場の協力を得たことで「社会福祉法人」による「単独型」としては初めてのグループホーム「麦の家」が誕生したのです。
学問の世界を極めた人が一転して実践的な行動を起こしたことを知り、なんとエネルギーに満ち溢れた人だろうと驚かされました。以後、患者さんを通して貴重な体験をし、意見交換をする機会にも恵まれました。そんな最中に、先生から後継者として麦の家を引き継いで欲しいというお話を頂きました。しかし飯田病院での仕事は山積みで、何より松本先生の代わりはとてもできいと丁重にお断りしました。それでもせめてものお手伝いにと、飯田病院の事務局長の渡学とともに理事に就任しました。
近くで拝見する先生はかくしゃくとしていましたが、間質性肺炎がお身体を蝕んでいることは明らかでした。自分はもう長くないから、南風原と飯田病院に麦の家の後を頼みたいと再度要請を受けたのが2020年2月でした。私はこれ以上「頑張ってください」とは言えず、恐る恐る理事長職を引き継ぐことを内諾したものの、理事長就任を理事会・評議員会に諮られる前に松本先生の訃報に接し、あまりに突然のことに、絶句してしまいました。
私が勤務する飯田病院は、飯田の地にまだ、病院のない時代の1903年(明治36)に原耕太郎院長によって創業され、「仁の心」の理念の元に、開拓的な地域医療の歴史の上に今日に至っております。麦の家の名称は、聖書の中の『一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一にて在らん』に由来し、入居者、家族、多くの人々の理解と励ましを頂きながら、中川村の地で、一粒の麦となっていくことを使命としています。麦の家、飯田病院ともに、ボランタリーな民間性を強く意識しつつ活動に励んでいるという点では共通しているものと思います。そのような思いを込めながら、麦の家が新たなステージへと向かう記念としてこのホームページをお届けし、私たちの日々の実践を問い続ける指標の一つとしたいと思います。
「麦の家」基本理念
社会福祉法人「麦の家」は、聖書に記載された「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」の理念に基づく社会福祉実践共同体を目指す。具体的には、(I)偉大なるパワーによって創られた人格を持つ人間の尊厳に究極的価値を置く人権の尊重(II)厳しい現実社会に在って認知症と言われ、社会的排除を受けやすい状況にある高齢者の生活ニーズに応える場の創設(III)他者のために生きる愛と希望、そして社会的正義の精神をもって、共生社会の建設のために奉仕する専門社会福祉実践者を養成し、仲間として共に働く運動体を目指す。
麦の家の祈り
麦の家を、そこに関わる凡ての人々にとって、本当のホームにしてください。
大きな命の泉を見出し、慰めが与えられ、憩いの場、安らぎの場となりますように。
そこに働く凡ての者に、注意深いこころ、謙虚で優しい心を与えてください。
麦の家を生活の場として利用する者、働く者、そして、その周りにいる凡ての人々が、互いに兄弟姉妹として、愛情と思いやりをもって交わることができますように。
共に生きる者として、互いに仕え、喜びも苦しみも分かち合い、慎ましい姿を、互いのうちに見つけられますように。
助けを必要とする人たちの手で、私たちは互いに癒やされ、そのその喜びを知ることができますように。共にいる幸せを、感謝できますように。
麦の家が、これらの願いを、少しでも実現していくことができますように。
ここに集う凡ての人々に、力を与えてください。
「ラルシュの祈り」参考
麦の家のあゆみ
開拓と挑戦の日々を振り返って、これまでの歩みをまとめました。
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・1993年(平成5年)
10月:日本基督教団・カソリック教会の永年の「東京麦の会」のボランティア仲間である松本栄二・帛美夫妻、長谷川房雄、木村千恵子、山名敦子が中川村を初訪問。村役場厚生課長、村会議員らと村の社会福祉の現状について懇談する
・1994年(平成6年)
2月:第1回中川村健康福祉大会講師に松本栄二(上智大学社会福祉学科教授)が招かれて「地域のなかの家族ボランティア」について講演。桃沢忠実村長、北島靖男助役らと懇談会の際に、中川村景観について話題となる中でセカンドハウスのような家屋を持って福祉的活動ができれば良いとの話になって家屋探しを始める
・1995年(平成7年)
7〜9月:上智大学社会福祉学科の松本ゼミ生初合宿。中組地区大草の家屋を借り、8人のグループが10日間ずつ5週間滞在。『人間行動論』受講生が対象、合宿参加で2単位履修ができて好評。以後、合宿授業は3年継続された
・1996年(平成8年)
1月:夏季合宿のために中組大草の家屋借用、購入の具体的交渉を始める
6月:伊藤哲郎建築士(株・ネクサス・プランニング代表取締役、1級建築士=小平市)にグループホーム設計を依頼
8月:麦の家活動の具体的方針、建設予算7500万円の出資方法などを検討する
・1997年(平成9年)
5月:建設費用が集まらず、国分寺教会木村千恵子氏に協力依頼。生前、社会貢献をしたいとの夫の遺志で1500万円の寄付を申し出てくださる
8月:グループホーム「麦の家」起工式が行われる
11月:上棟式。グループホーム着工の報道により、見学希望、具体的な問い合わせが入り始める
・1998年(平成10年)
8月:初入居者を迎える
11月:中川村在住の初めての入居者が入居。入居者2名となる
・1999年(平成11年)
1月:長谷川和夫聖マリアンナ医科大学学長の理事就任依頼が受諾される
6月:麦の家第1回理事会・評議員会開催
9月:入居者が、麦の家開所後1年にしてようやく定員5名を充たす
・2000年(平成12年)
2月:平成11年度社会福祉法人実地指導監査。初めての指導監査を受ける
4月:第1回伊那谷保健・医療・福祉実践事例研究会を開催
7月:田中康夫長野県知事(当時)が来訪
8月:社会福祉法人麦の家機関紙『ひとつぶ』創刊号発行
9月:社会福祉法人麦の家後援会(ひとつぶの会)発足
・2001年(平成13年)
12月:麦の家・ぶどうの木II新棟の上棟式。需要増に対応し、新たに5名を増員、
10名の定員となった。地域交流センターは自費で建設
・2002年(平成14年)
4月:社会福祉医療事業団退職金共済組合加入。ぶどうの木Ⅱ(五軒棟と共同棟Ⅱ)開設感謝会
11月:第1回苦情解決第三者委員会を組織する
・2003年(平成15年)
9月:初めての看取り
・2004年(平成16年)
4月:第1回ホームヘルパー養成講座開催。15名の募集に40数名の応募が殺到した
5月:第1回外部第三者(=高齢者痴呆介護研究・研修東京センター)評価を受ける
7月:上智大学比較文化学部との「麦の家・国際交流によるサマーキャンプ」の契約
・2005年(平成17年)
7月:社会福祉法人清水基金の小西正文常務理事、植田俊一郎事務局長に面会。麦の家についての説明の機会をいただき、追って車いす仕様車の助成申込書を提出
・2006年(平成18年)
6月:定員2名増への建築準備を始める。村の承認あり。坪単価100万円、20坪として建設費は法人自己資金とする
7月:第1回運営推進委員会、以後2ヶ月ごとの開催
9月:増築分上棟式(工事着工9月1日)。6名×2ユニットで定員12名となる
11月:飯島町文化センターにて、第1回麦の家・地方の福祉実践研究集会。テーマ「子どもから老人にいたる人間福祉が目指すケアとは?」(講師・長谷川和夫氏)
12月:共同棟Ⅱにて、初めてのクリスマス会開催。以後、毎年開催する
・2007年(平成19年)
10月:第2回麦の家・地方の福祉実践研究集会。テーマ「いのちに寄り添うなかで死を看取るということ」(講師・上智大学アルフォンス・デーケン博士)
・2008年(平成20年)
12月:中川村文化センターにて、第3回麦の家地方の地域福祉実践研究集会(講師・阿部志郎氏)
・2009年(平成21年)
5月:定員12名から18名に増員するため、ぶどうの木Ⅱの共同棟キッチンをリフォーム
6月:福祉型ホスピス棟(6床)開設・オープン。「高齢者福祉はターミナル期のケアでなければならない」との信念で、開所当初からの構想実現に前進した。麦の家定員は18名に。「ぶどうの木Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」と呼ぶ3集団のケア体制となる
・2010年(平成22年)
10月:麦の家訪問介護員養成研修講座2級課程。14名が参加
・2011年(平成23年)
7月:麦の家福祉文化コンサート(於 中川文化センター)を開催。日本を代表するドイツ歌曲のメゾソプラノ歌手・渡部せつ子さんが出演(入場者332名)
・2012年(平成24年)
9月:開設15年目で、「社会福祉法人麦の家パンフレット」がようやく完成した
・2013年(平成25年)
3月:麦の家発起人の一人、木村千恵子さん(理事)が87歳で帰天
7月:医療法人日聖会南向診療所(加藤尚志理事長)と、看取りに関する業務委託契約書を締結
10月:望岳荘研修室にて、麦の家開設15周年記念事業としてパーソンセンタードケア・認知症ケアマッピング研修会を開催(講師・水野裕博士)
・2014年(平成26年)
2月:開設以来初となる入居者定員割れの状態が生じる。入居料を理由に、特養への変更があり、驚く
・2015年(平成27年)
5月:松本栄二理事長が一般社団法人日本認知症ケア学会より「平成27年度日本認知症ケア学会・読売認知症ケア賞」功労賞を受賞
8月:松本栄二理事長が公益社団法人日本認知症グループホーム協会(河崎滋子会長)の経営委員会委員の委嘱を受ける
・2016年(平成28年)
6月:職員養成と公益事業として、介護職員初任者研修講座を開設(村内4事業所からの講師派遣により、11月まで実施)
・2017年(平成29年)
2・3月:中川村A型サービス資格取得養成・研修会を開催
4月:日本認知症グループホーム協会関東甲信越支部長会議にて前支部長逝去により松本理事長が後任を引き継ぐ
6月:認定特定行為業務事業者認定の資格を取得し、指定される
・2018年(平成30年)
2月:麦の家開設20周年記念誌発行を予定していたが、実現できず
9月:事業所建設のため、トレイラーハウス設置を検討したが、業者視察により土地が狭いため不可となり、実現できず(令和5年7月完成)
・2019年(平成31年/令和元年)
6月:法人広報誌「ひとつぶの麦」創刊。村内全世帯、約1400世帯に配布
11月:職員専用駐車場、麦の家広場(芝生公園)などの環境整備に着手
・2020年(令和2年)
4月:「災害時における要配慮者の受け入れに関する協定書」を社会福祉法人麦の家と社会福祉法人上伊那福祉協会、特別養護老人ホーム越百園との間で協定を締結する
5月:2か月余り中止していた新型コロナウイルス感染による入居者と家族の面談を、家族会と相談の上、再開する
9月:椿の階段工事完成。ぶどうの木Ⅰ・Ⅱからホスピス棟(Ⅲ)に至る階段を、コンクリート階段に造り替えた
・2021年(令和3年)
1月:麦の家に至る急斜面で狭い道路の拡張工事が本格化する(令和4年2月に完成)
・2022年(令和4年)
3月:麦の家創設者・松本栄二理事長が、間質性肺炎のため帰天。享年90歳
4月:長年、村に懇願していたグループホーム入居者のための家賃補助制度が実現する(宮下健彦村長)
4月:麦の家理事長に、南風原泰理事(栗山会飯田病院・精神科部長)が就任
・2023年(令和5年)
3月:麦の家創設30年の記念事業として、記念誌と論文集(9月)を発刊
・2024年(令和6年)
8月:長年の懸案だったホームページをリニューアル
役員一覧
理事長:南風原 泰
理 事:山名 敦子
佐々木人司
宮崎 礼治
渡 学
田中美保子
監 事:宮澤 卓美
春日 直哉
評議員:宮下 直彦
桃沢 時江
新井 正照
今井友貴子
尾上 利香
宮下 隆
米山 正克