麦の家の暮らし

麦の家が目指すケアとは

麦の家に入居を契約する時に、週に一度前後の訪問をご家族や、身近な人に求めています。(特に入居当初の30日前後は)麦の家のケアでは、入居者さまにはご家族との絆が「ある」ことを、入居者さまとご家族の方々との間で確かめ合う機会を必要不可欠としています。

麦の家では、入居者さまのご家族が、「麦の家の介護に」抱かれた疑問・質問、特に注意を大歓迎しています。より良き介護実践を確立していくため、ケアの反省に必要なのです。ご協力を願っています。

麦の家のケア実践は、入居者さまのご家族と協働して「パーソン・センタード・ケア」つまり、認知症の人があらわにする「ことばや行動」は、周囲の社会的、特に人的環境に反応して生じる正当な状態だという仮説のもとに、入居者さまにとって少しでも望ましい「生活の質」を確保するために、試行錯誤のケアを目指しています。

麦の家で生活するお年寄りのことば

ことばを「聴く」ということは、相手と関わることでしか磨かれません。「関わり」には相手の側に立って、鋭く想像する感性が求められます。聴くことは、待つこと、しかも、希望をもって、それには忍耐と勇気がいるのですーーーわたしたちは、このようにして、入居者さまとコミュニケーションを図っています。

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「つるさん、悩みないの?」「ないよ」「いいわね...どうして?」「悩みつくると苦労するから、悩みつくらないの!」「幸せ?」「幸せになりたいなぁ」

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「これぽっちの(拳ほどの)楽しいことがあれば(両腕いっぱいの)これほど辛いことが我慢できるよ」

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麦の家に入居して2週間、親せきあてのハガキ(抜粋)
「このたび、私は病院から麦の家という所に、移動させられました。みな、髪の毛は白く、歯もないような老人ばかりと暮らす事になりました。さんざ働いて年を取ってから、自分の家にいられず、こんな所にくるなんて、夢にも思いませんでした。年はとりたくないけれど仕方のない事です。ひとり、ベッドでラジオをきいています」
「とよさんという、小柄で静かな方と一緒に食事をしました。95歳というお婆さんも元気でありますし、寝たきりのひともおります。人は年をとって人の世話を受けねばならないのですね。又会える日を、楽しみに」
『ねずみたちと音楽会』(外村民彦著)の絵本を4人の入居者と読む。ネズミの話になる。「ネズミは米をかじるよ」「屋根裏でバタバタ走るよ、運動会みたいにして、大きな音たてるよ」職員「このあいだ、石鹸かじられたよ、ピンク色の石鹸。ネズミの歯もピンクになってびっくりしているよ」
さちさんがほっぺたを赤くして、みなに話しかける。「あのなん、ねずみにはねずみの道理があって、そのように生きとるの。かわいがってやるといい子になるの。悪いことしても『いい子でおれよ』というんだに。みなさん、お話せんもんでだめなんだに」

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10時のおやつに、薄紅色の口元で登場。「あーら、宮子さん、おめかしして、どうしたの?」と皆口々に。宮子さんは少し照れて「ふふ、そろそろ、お迎えも近いから、奇麗にしていないと仏様に失礼でしょ」
「老いゆくこと」を通して、「死」への思いに「耐える」英知とユーモアに学ぶ。

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入退院を繰り返し、亡くなられるまでの数ヶ月間に、職員とかわした会話。
「明日死ぬ...?」「明日は死なん」「今日は生きとる」「生きとった!」「生きとる...?」「死なんよ...」
様々なことばを残し、子どもたちに看取られながら、「ありがとう」を最後のことばに昇天。

看取りについて

麦の家は、看取りケアまでおこなっているのが特徴です。死は終わりではなく、再生であり、残されたものにとって、深い意味のある始まりでもあるのです。

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「今晩、死ぬかもしれん、死んだらごめんなさい」(貞雄さん、97歳)
家族・麦の家・診療所、三者の話し合いで貞夫さんは麦の家で最期を迎えることとなった。共同棟で仲間と過ごすよりも、居室で過ごす時間が多くなる。吸引器や職員同士の連絡事項を記入するノートがおかれる。時々、職員と入居者が、そっと、お見舞いに訪ねてくる。日常が、少しずつ、小さな変化を見せていく。
16時、夜勤者は各居室を訪ねて、「今晩は私が夜勤です」と挨拶に行く。冒頭は勤務2年目の若い青年に向けて語られたコトバ。自己の生の終わりを意識し、その時を迎えようとしている人の思いとはどのようであろうか。それでもなお、「他者」=「隣人」である、夜勤を務める若者の不安な思いを想像し、寄り添おうとする。3日後に逝去された。死にゆく者が生者のために心を寄せ、祈る。心を寄せられた介護者のケアはどのように日々のケアに活かされていくであろうか。

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人間というものは、いくら世話をしても、亡くなった時にこれで良かったのか、ああしたかった、こうもしてあげたかったと思うものです。その深い心残りを支えあうことが、グループホームの看取りケアなのです。

ご家族の思い

麦の家に入居するための最も大きな契約の条件は、原則、週に一回、親に面会するために麦の家を訪問することです。特に高齢になり、認知症を持つ人にとって、環境の変化がもたらすリスクは大きいです。大切な家族、住み慣れた家と地域を離れるという分離体験、時には家族から見放されたのでは、という思いは深いものです。

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自宅で骨折し、入院し、老人保健施設、その間に特養申請、ケアマネージャーさんとの連絡、気をもんで、気をもんで、その頃、麦の家の事を人から聞いて、来てみたら、理事長さんが「週に一回、面会に来るならきていいよ」とアッサリ言われ、「え〜っ、と思い」「はい」といってすぐ入居。「こんなところがあるんだ」とびっくりした。

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家族会で理事長が「麦の家に面会に来て、『お世話になります』『有難うございます』などと言わないでほしい。むしろ、麦に対する注文や要望、文句や苦情を率
直に言ってほしい」と注文を述べた。妻を入居させている夫が、ぽそりと「そうはいっても先生、こっちの衆は、そんなこと思っとったって、言わんに」と、風習、文化の違いを教えてくれる。麦の家と家族が互いに、思ったことを言う、率直であることの楽しさ、可笑しさに元気が出る。

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正月に97歳のおばあちゃんが麦の家から二泊三日で帰省する。四世代、九人家族の実質的な長老の存在であった。おばあちゃんのお嫁さんの話。「明日からおばあちゃんが帰ってくる。おばあちゃんの世話をする人? と聞いたら、小学生の三人のひ孫ふたりが手を肩まで、上までじゃあないのよ、あげたの」とおかしそうに報告。ほほえましく、楽しい情景が浮かぶ。当日はお嫁さんやひ孫たちが、にぎやかに、おばあちゃんを迎えにみえた。
母が旅立って三か月がすぎました。時々、夢枕にでてきて、母の若い頃、私の小さな頃の出来事、その頃の思いを、長い付き合いの友だちのように話します。「心身特に心の衰えで、大勢の人に迷惑をかけなければ生きていられない自分のふがいなさを感じていた」であろう母、けれども、兄家族のもと、故郷でくらし、最期は麦の家で楽しい日々を送れた事を感謝します。私たち姉妹三人は遠方を理由に年に数回しか行けませんでしたが、母を囲む、同窓会のように集う機会をいただく事ができました。

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麦の家を見学に訪問した時のことです。緊張しながら、色々説明をしていただいている間、同席している職員の方が母の手をずっと握ってくださっていました。その姿に、母を入居させることを決心させたと、今でも鮮明に記憶に残っております。入居してからは、職員様に笑顔で温かく接していただきました。葬儀には参列し、弔辞をいただき、家族にまで心を寄せてくださる思いやりを感じていました。

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長い間、施設の空きを待ち続けていました。介護について思い悩み、もがき、閉ざされてはまた、開き、の繰り返し。麦の家への入居の可能性がでてきて、見学し、目から鱗で、目の前がパッと明るくなったのを覚えています。義母の幸せとは何?と思う答、介護のヒントももらえました。入居後、私たちも落ち着き、少しずつ、自分たちの生活を整え、義母の部屋の片づけを始めました。気づかなかった義母の品々に驚きます。今は、私たちに心のゆとりができてきたので笑えますが、でも、本当は一番、義母が隠しておきたかったのだろう、悲しかったのだろうと思います。義母の認知症のおかげで麦の家と出会えたことを感謝しております。

地域活動

麦の家が目指す介護とは、3つのコミュニティ、「入居者さまのご家族」「麦の家」「中川村」の協働ケアを目指しています。

地域に根ざした介護実践として、

  • 入居者さまが住まいとしていた住居、子ども家族、生まれ育ったふるさと訪問、先祖の墓参り
  • 中川村、保育所、小中学校で行われるさまざまな行事への参加

などをおこなっています。